特別企画※3

なぜ「男性俳優のみ」なのか

信山プロデュース※4『人形の家』は、すべての配役を男性のみで上演します。主人公が女性であり、世界的にも女性の社会自立の物語として語られることが多いこの作品を、なぜ「男性俳優のみ」で上演するのか。演出にキャスティングの意図を聞きました。

(文章=演出・相馬日奈)

私にとって『人形の家』は、「女性の」でも「人形の」でもなく、「人間の物語」でした。


19世紀当時に世界に衝撃を与えた『人形の家』は、女性自立や女性解放の物語として語られることが多いです。実際にイプセンは、現代社会に生きる女性の苦痛を目の当たりにした経験から、この物語を完成させたといいます(特別企画※1参照)。


しかし、札幌に住む22歳、女性である私がこの本を初めて読んだとき、これを「女性自立の話」として描くことに疑問を覚えました。
私が『人形の家』を「女性の物語」として演出するのは、何かしっくりこなかったのです。


この疑問が、切り口となりました。

女の私だからこそ、まだまだ未熟な私だからこその描き方があるんじゃないだろうか。

「人間の物語」としての『人形の家』をどのように創ることができるだろうかと考えました。

そこで思いついたのが、主人公ノラと夫ヘルメルをはじめとする、すべての登場人物を同性が演じることでした。俳優の性差をなくすことで、普段感じる性差を異なる視点で見つめ直すことができるんじゃないだろうかと踏んだのです。

そして、女性の社会運動を促した作品だからこそ、「女性俳優のみ」ではなく、「男性俳優のみ」で演じることに挑戦したいと決意しました。


イプセンがこう言っています。 


「二種類の道徳的掟がある。二種類の良心がある。一つは男性のもの、一つは全く違ったもので、女性のものだ。」(<現代悲劇のための覚え書> 特別企画※1参照)

 

とても興味深いです。「女性の道徳的掟・良心」とは何なのでしょうか。男性のそれとはどう異なるのでしょうか。

イプセンのこの<覚え書>が、この大胆な試みの後押しとなりました。

男性俳優は、主人公ノラの決断を、その夫ヘルメルの判断をどう捉えるのか。すべての登場人物を男性俳優のみで演じることにより、台本に隠された女性性・人間性が際立つと思いました。

こうして、「人間の物語」としての『人形の家』が出発しました。

この作品を男性俳優だけで創ることは、かなり難しい挑戦だと感じています。
この創作に誰と挑むかが鍵となります。

私が演劇活動を始めてから約4年間、尊敬する先輩俳優や仲間とたくさん出会いました。

演技面はもちろんのこと、いつお会いしても演劇を純粋に愛しているその姿から、多くのことを学ばせていただいています。
いつからか、私が演劇を続けている理由の1つが、「この方々と一緒に舞台に立ちたい」「共に創作活動をしたい」になっていました。


私の疑問を、女性の役を男性が演じるという「演劇的嘘」を、「人間の物語」としての『人形の家』を、共に考え挑んでくれるメンバーに声をかけました。

素晴らしい7名が集まりました。

「奇跡が起こるのを待つ」。

この本で私が最も強く共感したのが、主人公ノラが夫ヘルメルとの関係に「奇跡が起こるのを待つ」という感覚です。


たった1つの秘密がバレたとき、2人の関係や状況は一変してしまう。どう一変するかはバレてみないとわからない。

もしかしたら、秘密がある現状よりも、これを打ち明けた後の方がもっといい関係になれるかもしれない。

そんなわずかな望みを、奇跡を、持ちながらその時を待つ。
心のどこかでは、受け入れてもらえるはずがないと諦めている自分もいるけれど。

そんなノラの気持ちに親近感が湧いたのです。

この感覚は、19世紀当時に生きていない私にもわかる。
きっと男性でも女性でも、19世紀でも2020年でも、人間である私たちはいつも奇跡を待ち続けています。

『人形の家』は、イプセンや海外戯曲を見慣れない方にも、共感し、笑い、胸騒ぐ作品なのです。

尊敬する俳優、スタッフたちと共に、世界的名作に挑みます。
タランテッラを踊らされるノラのように、俳優7人を舞台上で踊らせてやる!という意気込みで望みます。

男性俳優のみで演じる、「人間の物語」としての『人形の家』。
面白い作品になります。

劇場でお待ちしております!!