特別企画※1

イプセンとは何者か

『人形の家』の作者は、ノルウェーの劇作家、ヘンリック・イプセン(Henrik Ibsen、1828-1906)。シェイクスピア以降、世界でもっとも盛んに上演された劇作家としても知られています。世界を震撼させたスキャンダラスな思想劇・社会劇を描き、「近代演劇の祖」とも称される彼の生涯を光速で紐解きながら、イプセンの面白さを試味します。

イプセンは、小さな港町シェーエンに生まれました。

父クヌートは町の有力な商人で、町の中心であらゆる物資を取り扱うお店を営んでいます。母マルケンも有力商人の娘であり、生活はまさに富商のそれでした。彼が書いた唯一の自伝文学『幼い日の思い出』(1881年)には、当時の生活が楽しそうに描かれています。


「そのころは町の中にも近郊にも、教養ある立派な家庭がたくさんあった。こうした家庭は、みんなどこかで大なり小なりつながっているものだから、ダンスやパーティや音楽会が年中、ひっきりなしに催された。旅人もたくさん町へやってくるが、そのことはホテルらしいホテルもなかったものだから、みんな知り合いとか縁者のところへ転がり込んだ。私の家は大きくて部屋数も多いので、そういう人が大勢家へやってきた。」

しかし、暗い運命が突然彼を襲ってきます。

1834年、彼が6歳のときに一家の経済が破綻しました。上流社会との行き過ぎた交流やパーティなどによる派手な散財か、巨額の金を注ぎ込んだ酒造工場がうまくいかなかったためか、原因は諸説ありますが、裕福な生活は栄華の夢に終わりました。


ウィットに富んで陽気な人柄だった父クヌートは人が変わって乱暴になり、妻や子どもに当たり散らすようになります。お芝居を観に行くのが大好きだった母マルケンも、無口で陰鬱になっていきます。

両親の不和が大きくなり、家庭が壊れていくさまを暗い目で眺めていたイプセンは次第に孤独になり、自分の中に想像の世界を作って閉じこもるようになりました。夢想に生きる彼が中学生の時には、秀でた文才が目立つようになり、学校の教師はイプセンの作文を盗作だと決めつけたという記録が残っています。

20歳になると戯曲の執筆に着手し、1849年に処女戯曲『カティリーナ』、翌年には『勇士の塚』を完成させ、劇作家としての活動をスタートします。その後、ベルゲンやクリスチャニアで『ヘルゲランの勇士たち』『愛の喜劇』『王位継承者』などを執筆しますが、なかなか認められません。


演劇に絶望したイプセンはイタリアへ赴き、叙事詩に取り組みはじめます。1年間執筆に空費しますが、イプセンは「この作品こそ劇詩の形式がふさわしい」と悟り、叙事詩をもとに戯曲を書き上げます。こうして1865年、彼が37歳の年に劇詩『ブラン』を書き上げ、これが大ヒットします。


一躍して北欧の一流詩人・劇作家となったイプセンは、『ペール・ギュント』『皇帝とガリラヤ人』などの作品を次々とヒットさせます。

イプセンが50歳になる1878年のある日、イプセン夫人は一通の手紙を受け取ります。差出人は、ノルウェー生まれの駆け出し女流作家、ラウラ・キェラー。手紙は「原稿を書いたのでイプセンに自分を推薦してほしい」という内容でしたが、原稿は面白くなく、イプセンは推薦を断りました。

このラウラの存在が、『人形の家』の執筆に大きな影響を与えることになります。


ラウラがイプセンを知ったのは、彼の代表作『ブラン』に強く刺激されたのがきっかけでした。彼女は外伝的小説『ブランの娘たち』を書いて、イプセンに献呈します。イプセンは喜んで心のこもった礼状を書き、彼女を「私のひばり」と呼び可愛がったといいます。


やがて彼女も結婚し幸福な家庭を築きました。しかし、1876年に彼女が夫とともにイプセン宅を訪れた時に彼女の口から洩れたのは、夫が病気になってしまい休養のためイタリアへ転地しなければならず、さらにその費用のために彼女は夫に内緒で借金したということでした。

イプセンは原稿の推薦を断ったものの彼女のことが気になり、彼女のその後を調べましたが、その現実はイプセンの心を痛めました。


彼女は、推薦を断られたことがショックで原稿を焼却し、夫の転地の際の借金を返すために小切手を偽造します。しかし偽造はすぐ夫にばれ、夫は彼女が自分のためにそういうことをしたという事実を無視して、彼女を罪人のように扱い罵るようになりました。結果彼女はノイローゼになって精神病院に入院し、離婚することになります。


この一件を知ったイプセンは、ノートに<現代悲劇のための覚え書>というタイトルで次のように書き記しました。


「二種類の道徳的掟がある。二種類の良心がある。一つは男性のもの、一つは全く違ったもので、女性のものだ。彼らは互いに通じ合わない。しかし現実の生活では、女性は男性の掟によって裁かれる。彼女が女性でなく、男性であるかのように。

この戯曲の人妻は、何が正しく、何が正しくないかということがわからずに芝居を終えるが、一方にある自然の感情と、他方にある権威への信頼が、彼女を大きな混乱に陥れる。

女性は現代社会で独立の人格となり得ない。この社会は全く男性のものであって、男性が作った法律によって、男性の立場から女性の行動が裁かれる。

彼女は文書偽造をやった。そしてそれを誇りとしている。夫に対する愛情から、夫の命を救うため彼女はそれをやったのだ。だがこの夫は、常識の眼で批判し、法律の側に立って、男性の眼でこの情況を判断する。

道徳的葛藤。権威への信頼が押しひしがれ、混乱して、彼女は自分の道徳と、子供たちを養育していく適性への信仰を喪失する。悲痛なるもの。現代社会における母親は、ある種の昆虫と同様に、種を繁殖して義務を果たすと退いて、死んでいく。生命、家庭、夫、そして子供たちと家族への愛。おりおり彼女は、女たちがするように肩をすくめてそういう思いを振り切ろうとする。突如として、苦痛と恐怖が戻ってくる。すべてはひとりで背負っていくほか仕方がない。終局が、無慈悲に、不可避的にやってくる。絶望、抵抗、そして破滅。」


『人形の家』は、この<覚え書>を発展させて書かれました。彼は「私が書いた作品でこの作ほど、私に大きな満足を与えてくれたものはないと思った」という言葉を残しています。


1879年12月、『人形の家』が出版されました。現代生活に爆弾を落としたようなスキャンダラスな社会劇は世界を震撼させ、演劇や芸術に関心のない人々までが躍起となってその最終場面のノラの行動の是非を論争しました。

こうしてイプセンの名は世界的になり、1906年5月23日、78歳の高齢で没するまでその活動は続きました。

ノルウェー政府は彼を厳粛に国葬し、長くノルウェーの最高額面の1000クローネ紙幣にその肖像が描かれることになります。


世界中で愛されている彼の作品の中でも特に衝撃的な『人形の家』は、遠い北海道札幌の私たちをも魅了させています。信山プロデュース※4『人形の家』、2020年4月3日~5日に上演です。

<参考文献>

 小菅奎申(1980)『『人形の家』をめぐって』八千代出版
 原千代海(1980)『イプセン——生涯と作品』玉川大学出版部
 原千代海(2001)『イプセンの読み方』岩波書店


<画像出典>
 visitnorway.com「HENRIK IBSEN」<www.visitnorway.com/things-to-do/art-culture/literature/henrik-ibsen/